やりたいことがタスクになったら深呼吸する
ここ数週間、自分のPC環境をずっと触っています。
デスクトップを整えて、ターミナルで音楽を聴いて、サブスクを解約してObsidianに集約して、ブログを書いて。
気づいたら全部つながっていた、という記事まで書きました。

PC環境を作り込んでいたら自分の世界ができていた
デスクトップ、ターミナル、Obsidian、ブログ。ここ数週間で触ってきたことを振り返ったら、全部「自分の世界を自分で作る」という一本の線でつながっていました。
楽しいです。
自分で作った環境には愛着があるし、使いやすい。
Sparkでメールを開いていた頃と、ターミナルのメールクライアントで読む今とでは、同じ「メールを読む」なのに気分が全然違います。
朝、ダッシュボードを開いたらブログのアイデアがポンポン出てきた日もありました。
作ってよかった、と素直に思っています。
「こうしたい」が止まらない
環境を使っていると、気づくことがあります。
「ここをもう少しこうしたい」。
- 1
ひとつ手を入れる
- 2
隣が気になる
- 3
その先が見えてくる
この連鎖が楽しくて、前回の記事でも「終わらないカスタマイズが一番楽しい」と書きました。
実際、ゲームの攻略Wikiを自作したり、ダッシュボードのレイアウトを変えたり、やりたいことは次から次へと湧いてきます。
でも最近、少し気になっていることがあります。
やりたいことが、タスクに変わる瞬間
「あそこを直したい」「この設定を試したい」「あの機能を追加したい」。
やりたいことのはずなのに、いつの間にかToDoリストのように積み上がっていく。
誰にも頼まれていない。締め切りもない。
それなのに、義務感のようなものが顔を出す瞬間がある。
好きで始めたことなのに、どこかで「タスク」に変わっている。
この境界線は、思ったよりも曖昧でした。
たぶん「もっとよくできるはず」という気持ちが常にあるからだと思います。
自分で作っているからこそ、理想の姿が見えてしまう。
そこに届いていない現状が、やるべきことに見えてくる。
自分で作った環境は、急かしてこない
でも、ふと立ち止まって思うのは、自分で作った環境は自分を急かしたりしないということです。
通知も来ない。
締め切りもない。
ただそこにあって、自分が開くのを待っている。
急かしているのは環境ではなくて、自分自身のほうでした。
やりたくないときはやらなくていい。
気が向いたらまた触ればいい。
完成しないことは、別に悪いことではない。
「こうなればいいな」を楽しめるときに楽しんで、疲れたら離れる。
それくらいの距離感が、自分にはちょうどいいのかもしれません。